他人に聞かせる音

2005.11.25 - 未分類

 ひたすらトラック作りに精を出したり、水面下でごにょごにょしたりしてます。
 12月にスタジオでレコーディングしたりする予定。発表できる形になったらサイトで告知予定です。

 で、最近ものすごく、「他人に聞かせる音」 を意識してます。

 先月、先輩の結婚式の2次会で、数人でのマンドリンオーケストラの演奏を聴いたのですが、
 その時、物凄い違和感を感じました。

 この人たちは、本当にお客の為に弾いているんだろうか?
 ただ自分達が楽器を弾きたいだけの自己満足に陥ってないか?

 演奏者たちの意識は、目の前にある楽譜と、他のパートの音の流れに集中。
 自分達の演奏を聞いてくれる聴衆の存在はイズコ?

 演奏は上手い、演奏は上手いんです。
 楽器を使うテクニックや、オーケストラとしてのまとまりはさすがだったのです。
 上手いだけに、ショックでした。
 少なくとも私には、誰かを楽しませるための音楽に聞こえなかったこと。
 プレイヤーの意識が聴衆に向けられていないことの悲しさ。
 
 私も昔々、マンドリンでオーケストラを行う団体に所属していました。
 当時、あの世界は非常に閉鎖的でした。
 昨今はどうなっているのかは全く知らないのですが、あの演奏を聴くかぎり、やっぱり今も閉鎖的なままなのかなぁとも思いました。

 まぁ、前日にそういった閉鎖的雰囲気を (良い意味で) ぶち壊す映像を見ていたので、
 余計に何か感化されちゃってたのかもしれません。

 しかし閉鎖的って言ったら本格的なクラシックの世界や、クラブミュージックの世界も閉鎖的なものはあるわけで。
 難しいところ。

 音楽って、他人に聞かせてナンボのものですよね。
 演奏っていうのは、他人に何かを伝えるための手段の一つであるわけで。

 そういえば、打ち込みはダメだとかも良く聞く話ですね。
 こと、最近ちょっとバンド界隈に首を突っ込んだこともあり生演奏派の人から良く聞く言葉です。

 それって、風景を描くのに、水彩画を使うか写真を使うか油絵を使うかの違いでしかないと思うんですけどねぇ。
 それぞれの表現方法に一長一短がある。描きたいものを伝える時に向き不向きがある。
 何でもかんでも 「打ち込みはダメだ!」 の一言で済ませちゃう脳味噌が筋肉な人とか困っちゃいます。
 私は打ち込み大好きですけど、エレキギターのソロ回しや管楽器の音圧、バイオリン1本での表現の豊かさなんかは打ち込みではなかなか表現できないものと思っています。

 まぁそんな議論も10年くらい前に結論が出てて、
 結局人間、 「やりたいことをやればいいんじゃない?」 ってカンジで。
 自己満足だっていいんじゃない?自分自身が満足なら。

 私は音楽やっててそれは嫌だなと思います、ハイ。
 残念ながら万人にとは言えませんが、どこかで誰かが 「これ良いな」 とポツリと言ってくれる音を作っていきたいなと思います。

 いやぁ、朝からエロマンガで事に至ったら終わった瞬間やたら冷静になりまして。
 すげぇマジメな事書いてみちゃった!
 微妙に 「今更!」ってカンジのことばっかりですけど!

 今日は給料日なので大阪日本橋でエロマンガ発掘作業に精を出す予定です!
 文字通り!